身体をゼロ化するためには、より流れる感覚を鍛えなくては、ならないでしょう。
外の世界観と自分の世界観とを繋ぐ、一番大きな行為が食です。

僕が取り戻したい動く為の発動力は、ネイテイブインデイアンのダンスのオリンピックにおける思考が、まさに食べるとは何なのかを、突きつけてきます。

以前にも言いましたように、食べているものと同じ動きが出来なければ、食べているとは認めない思考の現れです。

大体我々は、情報を取り入れたいときは、口をポカーンとあけます。
真剣に起きた現象の意味合いを対処法を見いだそうとするとき、口はあいてしまう。
一方で、拒否しているときは、口を閉じます。
口を閉じれば内蔵は固まります。
この段階で一霊四魂三元八力の三元である、「柔」の部品が動きを止めます。

情報は、口から取り入れると信じて感じると、情報も咀嚼します。
合わせたものを分ける八力の運動の二力です。
そしてこの運動に瓜二つなものが土です。
僕らの舌が大地と感じてください。
そして舌の上で情報解析が行われ分かれます。

例えば、爪先立ちをするときに、多くの支流に枝分かれしたものが大地の舌上にある、多くの受け口と繋がると想像します。
そうなると一点では立っていないのだと脳が働きます。
映画アバターの、尻尾を動物と結びあうシーンと同じです。
あの異星に住む人類の(?)形は、素晴らしい予測です。
今身体能力が高まっている、ダンサーやアスリートは尾骨の数が増えています。

アラヤシキは、尾骨に繋がります。
カンガルーは尻尾も立つことに参加しています。
一方で、チータとかは、獲物を追いかけるときに尻尾をより天界に向けて立たせ、急激なカーブをするときに、カーブとは逆方向に尻尾を回転させて土台を作ります。

身体能力を高めるときに、どの部品が進化していくのかを見極めることが重要です。
そしてこの尻尾に運動を与えるのが直腸です。
ヤバイと感じたときに、直腸内部が右回転、左回転運動を同時におこして肛門を締めます。
此れがお尻を閉めることです。
ワークでは動きを想像して、運動的に実地しますが此れを言葉と繋げて、スイッチを作ります。
此れは随分ワークでそこだけ取り出して四時間かけやりました。
ワーク受講者は、直腸の回転運動を練習した時期を思い出し、スイッチを作ることを今後高めていってほしいので、身体言葉の体感勉強をして頂いているのです。

そして其の尻尾が尚且つ、アバター族の尻尾のように枝分かれしていると感じましょう。
軸とはこの尻尾の先一つ一つと脳を繋げることです。
脳が舌と想像しましょう。
当然味覚を感じる舌の一つ一つが脳と繋がり、これを身体で記憶しようとすると、右左十個ある肺の部屋のなかに相当数ある肺胞と繋がっていきます。
其処から先は想像しやすいので、髪の毛と繋がっていると感じてください。
僕のようにスキンヘッドは、毛穴で感じます。
髪が長くとかれている、又はスキンヘッドで、毛穴で直接感じる、此れが一番尻尾と登頂が繋がります。
其がバレエの髪型や侍のチョンマゲ、少林寺の髪型に表現されていると思っています。

見た目の格好には、長年の効率のよい仕組みが、まるで職人の道具のように秘められています。
僕は皆さんに、手に馴染む自分の身体を取り戻して欲しいのです。
手に馴染まないから自分を大事に出来ない。
手に馴染まないから自分の真実を疑う。
此れは旨いと思いながらも、自分の味覚を疑って堂々と人に言えないのと同じです。

手に馴染んだ身体は、行けると直感したとき、無意識にソフトに握りこぶしを作ります。
此れは手に馴染んだ道具をしっかりとそして柔らかく握りしめた事と同じなのです。

残念ながら、添加物の味は、尻尾にも髪の毛の先にも通じません。
口だけの満足で終ります。
だから身体が満足できずに、過食します。
肺は身体の記憶装置でもあります。
だから悲惨な状況を見ると「胸がいたむ」と言い表します。
胸にある記憶装置と繋がらないので過食に繋がります。
ほとんどの依存症が、この身体と関わっています。
越谷のクラスで話しましたが、エベレストの中腹で綺麗な夕陽を見ながら、一番食べたいものは、シンプルな美味しさです。
僕は大好きな人がその人に食べてもらいたいと気を使い、素手で握ってくれた梅のオニギリが一番食べたいです。

そしてその肺胞の情報を一つのカメに入れてしまっておける箇所が「肚」です。
此のときに気が静まります。
しかし其が無意識になってしまったときに、枝分かれした筆先のようなものが大地の方向性に枝を伸ばします。
と同時に髪の毛の情報は、天の方向に根をはります。
此れが軸です。
この軸ならば流動的に運動をこなせます。
束ねて固めることも紐解き溶かすことも、引き寄せながら静止することも緩めて揺らぐことも、可能になります。
しかし直接、根や髪の毛に運動をさせないようにしたいです。
部品への直接意識は、運動脳を損ない、いつかせるからです。ゼロ化しないのです。
其処で水の動きからの想像を使うのです。

さて此処で「腹いせに」と言う言葉を考えて見ましょう。
「腹いせに暴力をふるってしまった。」
この言葉が示すものは、何かの代わりに何かの違う行為でお茶を濁して済まさせたという事です。
腹いせにポテチを食べまくる。
腹いせにジョギングする。
全てトリックスターです。
浮気も買い物依存症も以外に趣味も「腹いせ」運動をベースにしています。
娘と女学生の頃に買い物楽しめなかった父親に、援助交際が多いらしいのですが此れも腹いせ運動がベースになっています。
スタートラインは、現代では仕方がないとしても、自分の本心がいつの日か必ず、自分の化けの皮を剥ぎ取ります。
結局トリックスターはイデオロギッシュな思考が産み出した産物です。

結婚も今、其の現象の現れが多くなってきています。
きっと政治もボランテイアも原発反対運動もしかりです。
僕も結婚や様々な失敗の中で見つめたのは、お互いの違いと思っていても、根本思考のベースに自分の父母の関係の体験が逆を作り出そうと、安易な理想を脳が組み立てる怖さです。
仕事の選び方もしかりです。
厳しくも気持ちのよい自由を、僕らは知らないのでは、ないでしょうか?

瞑想も心の不安の解消を求めて始めます。
しかしこのイデオロギッシュな思考を瞑想でとるためには、相当な情報隔離と時間を必要とします。
瞑想はとても良いことです。運動もとても良いことです。
マクロビオテイックもとても良いことです。
飲酒もとても良いことです。
喫煙も悪いことではありません。
恋も良いことです。
焼き肉を食べることも良いことです。
全て良いことです。
悪いのは、イデオロギッシュな思考によるスタートラインに気づけない事です。

「腹いせ」では、手を変え品を変えきりがない。
結果手に馴染んだものは一生体感できない。
例えば、ノコギリが切れない、品物のせいにする。
けれどもそこまでそのノコギリを使ってはいない方が殆ど。
だから自分の身体のズレに気づかない。
だからこそ、初めから身体にへんな癖がつかないように本物を自分に与えてください。
ノコギリも人も食べ物も趣味も本物と始めから出逢う事を恐れずに実行しましょう。
それと出逢うことが本当の自分と出逢うことです。
本当の自分と出逢えたら、いかに全てが「腹いせ」運動によるものを、自分のまわりに付着させて、其に意味合いと名前をつけて、逆に其に頼り依存してきたかがよくわかり、叫びながら、真っ裸になりたくなるはずです。

生きる基本のお水に対しても、僕も散々あれがよいらしい、此方が更に良いらしいとやって来ました。。
どれも素晴らしいと思えるもの沢山あります。
けれども自然界が作るものは、本物です。
勿論本物の伏流水に出逢うには生きた勉強が必要です。
自然界の仕組みを知らなくては、湧き水見て喜んでしまう。
本物の時代に入ったとよく言われます。
しかし言い方変えるなら、偽物が氾濫しすぎたのでしょう。

僕がダンスの世界から少しずつ身を引いてきたのも、偽物故です。
本当の自分と出逢い、其処からのダンス以外に僕が僕のダンスと出逢えないからなのです。
そして出逢うために水を手にした。
馴染んできた。
そうすると次は風なのです。
そんな時に越谷ワークでのセーリングカヤックをしている方との出逢いと、気の動きで即ち身体から立ち上がる風の動きで波動測定をなさる方との出逢いは、まさに次の僕の方向を身体が指し示す、示唆の現れでした。







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